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2017年8月 9日 (水)

正しい日本語

日本企業のグローバル化が言われて久しいですが、うちの会社も、ここ数年で急速にグローバル化が進んできた感があります。
そもそもグローバル化とは何なんだ、という議論はありますが、それはさておき。
社内に外国人社員が増え、海外の子会社とやり取りするのが日常的になってきて、数年前とは比べ物にならないくらい社内での英語使用率が高まっています。

とはいえ、楽天みたいに英語が社内公用語になる日はこないでしょうから、主になるのはやはり日本語です。
そうすると、書くときも話すときも、英語日本語の訳をしないといけない場面がたくさん出てきます。
これがめちゃくちゃめんどくさくて、二度手間!
あるころから、普段の会話の中で一般的には日本語になっていない英語をそのまま使う人が多くなってきたことに気付きました。
たとえば、アラインする。
getalignmentで、関係者の合意をとるとかまあそんなところですが、合意をとりつけると言うとなんかニュアンスが違うので、思わず日本語の中でもアラインすると言ってしまったりするわけです。
ひどい人になるとメイクシュア(makesure)する必ず〜するようにする、確かめるなどと、さすがにおかしいやろと思うぐらい普段の会話が英語まじり生粋の日本人ですよ?)になってます。
日本語を使え、日本語を。
わかりますよ、決してカッコつけてるとかかぶれてるとかじゃなくて、ちょうどそれに相当するいい日本語がなかったり、とっさに出てこなかったりして、英語をそのまま使った方が早くて楽なんですね。

それでも行き過ぎると、日本語で考えることを放棄して、その結果日本語力が低下しているんじゃないかと懸念してしまいます。

英語が上達するには日本語に置き換えていてはダメと言いますが、英語の意味を咀嚼して正しい日本語で言い表そうとするのは、それと反対のことをしてしまっているのでしょうか。

言葉というと、聞くとムズムズするフレーズがいくつかありまして、

〜に落とし込む
たてつけ
深堀りする

などは決まり文句のように使われているのですが、何度も聞くとイヤ〜と耳をふさぎたくなる。
あと、とんでもございませんです。
これを聞くたびに、またここにも間違った人がとひとり心の中で思っているのですが、
まさか敬語の指針という文化審議会答申の中で、使っても問題ないとされていたとは!

なんちゅーことをするんだ、阿川佐和子のお父さんも間違いと言ってたでしょうが()
以下、抜粋。

部長からいい仕事をしたねと褒められたので思わずとんでもございませんと言ったのだがこの表現は使わない方が良いとどこかで聞いたことを思い出した。とんでもございませんの何が問題なのだろうか

解説1
とんでもございませんとんでもありませんは相手からの褒めや賞賛などを軽く打ち消すときの表現であり、現在では、こうした状況で使うことは問題がないと考えられる。

解説2
謙遜して、相手の褒めや賞賛などを打ち消すときのとんでもございませんとんでもありませんという言い方自体はかなり広まっている。この表現は使わない方が良い、と言われる大きな理由はとんでもない全体で一つの形容詞なので、そのないの部分だけをございませんに変えようとする発想に問題があるということである。したがってその立場に立てばとんでもないを丁寧にするためにはとんでもないですとんでもないことでございますあるいはとんでものうございますにすれば良い、ということになる。ただしとんでもございませんはとんでもないことでございますとは表そうとする意味が若干異なるという点に留意する必要がある。問いの例は、褒められたことに対し、謙遜して否定する場合の言い方である。したがってとんでもございませんを用いることができるが、この場面でとんでもないことでございますと言ったのではあなたの褒めたことはとんでもないことだという意味にも受け取られるおそれがあるので、注意する必要がある。また、例えば、あの人のしていることはとんでもないことだ、と表現したい場合にはあの方のなさっていることはとんでもございませんね。などとは言えない\xA4
❶△箸鵑任發覆い海箸任瓦兇い泙垢諭◀覆匹鷲當未僕僂い襪海箸❹任④襦\xA3
はぁ、言葉というのは時代とともに変わるものですね。
しかし、私の中ではやっぱり誤りなので、これからも決して使うまい。

それと、定番ですが見れる食べれるなどのら抜き言葉。
こちらも、アンケートによれば間違いでないと思う人が多数派になってきており、実際アナウンサーぐらいしからのある方を使ってるのを聞きません。
けしからん!などという声はもはや風前の灯。

きちんとした言葉使いができるといわれるあの人でも、やっぱりら抜き。
もうブルータス、お前もかと言って頭を抱えるしかない。

せめて学校の先生ぐらいちょっと意識して使ってほしいなと思うのですが、期待する方がおかしいような気になってきます。

見られるでは受け身なのか可能なのかはっきりしないけれど、見れるだと可能であることが明白なのでわかりやすい、というのも広まった理由のひとつだと言われます。

いや、そういわれたら確かにそうですけども。

自分でも見られると言いながら、わかりにくいなと思うことありますよ。
ありますけど、とことん使い続けるしかないでしょうね、ここまできたら。

とさんざん言ってるわりには、

仕事から疲れて帰ってきて、むちゃくちゃ暑い部屋に入って散らかりまくった光景を目にした日にゃ、

ちったぁ片付けろや!コラァ!

とお世辞にもお上品とは言えない言葉を発する私であった

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